なぜ、20代高学歴女子は「専業主婦」狙いなのか?

2009年6月14日です。こんにちは、ストロング宮迫です。

雑誌「プレジデント」に

「なぜ、20代高学歴女子は「専業主婦」狙いなのか」
 
という記事がありました。

記事には、こんな風にありました。一部抜粋して紹介します。

「なぜ、20代高学歴女子は「専業主婦」狙いなのか」


東大大学院在学中のリカさんは、現在、就活の傍ら、専業主婦を目指して婚活も同時進行中。

「あくまで目指すはお嫁さん。対等な関係はイヤなんです」。
 
東京大学大学院生のリカさん(26歳)は、研究職へのエントリーシートを書きながら今日もため息をつく。

「早く寿退学したいなあ……」

父は自営業、母は専業主婦の家庭で育ち、キャリアへのあこがれはゼロである。

内閣府の意識調査によると「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という質問で女性の賛成派は20代が60代についで多いという結果が出た。

ちなみに、反対派が一番多いのは40代である。

「自分が輝くための仕事すらもういらない、仕事をしなくてもいい男と結婚したい」というのが今の20代なのだ。

しかし、リカさんのような高学歴女性ですら、専業主婦志向がそれほど高まっているのはなぜなのだろうか。リカさんが地方の高校から東京に進学するには、「早慶以上」の大学進学が条件だった。そして、周囲の期待に応えるまま東大にストレート合格してしまった。

その後つきあった同級生の彼とすぐに結婚したかったので就職せず、とりあえず大学院に進む。しかし、メーカーの研究職についた彼に「結婚したらフルタイムで働いて」と言われて別れた。

「お嫁さんじゃなくてパートナーはイヤなんです」。


記事では、このあとさらに似たような感覚を持つ2人の20代の女性の紹介があります。これが20代全体の傾向なのかどうかは別にしても、勉強になりますなあ。

こんな風に考えているなんて。

まあ、事の是非は皆さんご自身がなさるとして、この記事を読んで1つの話を思い出しました。

「北方水滸伝」に出てくる武松という人の話です。

武松には、6歳のころ、はじめて会った時から、好きだった女性がいた。

母はその女性を武松の兄と婚約させる。

それから20数年、武松は身もだえながら、悩みながら生きていく。

「水滸伝 2 替天の章」 北方謙三 24ページ


情けないほど、弱い男だ。

国を相手に戦をしようとしている時に、女ひとりのことで思い悩み、志さえ忘れかけている腰抜けではないか。何年も前に捨てたはずの思いを断ち切れず、ついにはその女のそばまで来て、家のまわりをうろつく、未練な男にすぎないではないか。

しかしなぜ、これほどまでに潘金蓮が忘れられないのか。絶世の美女というわけではない。冷静になり、じっと考えると、どこにでもいる女だ、と思える瞬間もあるのだ。それでも女は潘金蓮だけだ、という気がしてくる。

どんなに美しかろうが、やさしかろうが、そんなものは潘金蓮の眼ざしひとつで、なんの意味もないものになってしまう。自分にとっては潘金蓮ただひとりだ。抱きしめたい、抱きしめられたい。口を・・・・・・


とまだ続くのですが、この話を思い出すのです。

これは「北方水滸伝」の話ですから、本家本元の水滸伝では話が大きく違っているみたいですが。

「武松」 フリー百科事典『ウィキペディア』
 
まあ、それは置いておくとして、人間にはいろいろな違いもありますし、そもそも男女の感性も違いもあることでしょう。

だから、なにがイイか悪いかなんていうのは、人それぞれ。

ただ、若者には、生涯に一度くらいは打算も損得もない燃えるような、焦がれるような恋をしてほしいなあと願います。


絶世の美女(美男)というわけではない。冷静になり、じっと考えると、どこにでもいる女(男)だ、と思える瞬間もあるのだ。それでも女(男)はお前だけだ、という気がしてくる。自分にとってはお前ただひとりだ。 

もしかしたら、そんな恋は幻想かもしれないし、勘違いかもしれない。

それでもイイ。

「お前しかいないんだ、見えないんだ」
「なにも手につかないんだよ」

という恋が人生に一度くらいはあってもいいんじゃないでしょうかね。

やっぱり燃えるような恋は、10代には早すぎて、20代の特権です。40歳過ぎてそんなことしてたら、仕事にならないですからねえ。

でも、そんな激烈な感情による恋は、裏返せば、不幸を招く種でもあるのでしょう。

「北方水滸伝」では、筆舌に尽くしがたい形で妻を亡くした林沖が言います。

「水滸伝 2 替天の章」北方謙三 91ページ


身が切られる、というようなものではなかった。心が張り裂けるなどというのも、甘い言葉だと思った。ここから自分は抜け出せるのか、といつも思っていたものだった。いまも思っているかもしれん。しかし、こうして言葉で語れる程度のものになっている。無残なものだ。人は、忘れる。悲しすぎるほど、たやすく。
熱病のような恋の病も、死にたいような受験の失敗も、時間という偉大な装置が働いて、
無残なほど、たやすく、言葉で語れる程度に忘れさせてくれます。
ならば若者よ!

傷つくことを恐れず、本能のおもむくままに少なくとも、一度は人を愛してみたらいい。

たった一度の人生だから。

あなたは燃えるような恋をしたことがありますか?


「水滸伝 2 替天の章」北方謙三 

「水滸伝 上」岩波少年文庫 

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