オックスフォード大学とケンブリッジ大学の今年の入試問題

こんにちは、ストロング宮迫です。

もう多くの方が見たと思いますが、英国の名門2大学の今年の入試問題が話題になっているそうです。

2008.12.09 CNN「小説と詩、どちらになりたい?」


英国オックスフォード(CNN) 英国の名門2大学、オックスフォード大学とケンブリッジ大学の今年の入試問題が話題を集めている。

オックスフォード大は「小説と詩のどちらが好みか」
ケンブリッジ大は「あなたが仮にカササギなら何をするか」

と、受験対策的な知識ではなく受験生自身の考える力を見極める質問だ。

オックスフォード大の入試担当者は、今回の入試問題について「受験生に安全地帯から出てもらうのが狙い。われわれは受験生に大量の知識から離れ、自分自身で考えることを始めてもらいたい」とコメントした。

このほか、ケンブリッジ大の問題には

「警察に見抜かれないよう他人に毒を盛るとすればどうするか」

といった意地悪に見えるものや

「政治家に代わり、大手家具店イケアの店長に国家運営を任せないのはなぜか」

という現実的な質問もある。 (省略)


この記事を読んでも意識の高い皆さんでしたら、「さすがイギリスの名門!」なんて思う人はもうあまりいないんじゃないでしょうか?

日本でも昔に比べたら、知識だけを問う傾向の問題は年々減っています。

だから、こういう問題を見ても、「最近はそうなってきているのよ!」なんてね(^ε^)-☆

実際、日本の小中学校では、平成14年度ですから今から6年ほど前から「総合的な学習の時間」というのが始まりました。

「総合的な学習の時間」は、文部科学省によれば、


これまでとかく画一的といわれる学校の授業を変えて、
◆地域や学校、子どもたちの実態に応じ、学校が創意工夫を生かして特色ある教育活動が行える時間
 
◆国際理解、情報、環境、福祉・健康など従来の教科をまたがるような課題に関する学習を行える時間
として新しく設けられたものです。

また、この「総合的な学習の時間」では


子どもたちが各教科等の学習で得た個々の知識を結び付け、総合的に働かせることができるようにすること
を目指し、
知識を教え込む授業ではなく、 自ら課題を設けて行う学習や将来の生き方を考える学習が積極的に行われ、

◆自ら学び、自ら考える力の育成
◆学び方や調べ方を身に付けること


まさにイギリスの名門大学の入試問題なんか軽く答えちゃう感じの教育が日本では6年も前から始まっていたんです!!

レーート!!...(◎_◎)

オックスフォード大学の


われわれは受験生に大量の知識から離れ、自分自身で考えることを始めてもらいたい
このコメントなんて日本の子供たちにからすれば、

「なにを今さら!フン!ウエルカム!」

ってなもんでしょう。

なんといっても我が日本は「総合的な学習」をやってるんですから!
 
し、し、しかーし、

平成23年度から実施される新しい学習指導要領ではこのグレートな「総合的な学習の時間」が削減され、代わりに教科の時間が増えることになっているようです。

なんでや!?

グレートな「総合的な学習の時間」はなぜ削減なのか?

文部科学省は言います(難しいから読んでもわからないかも)。


「生きる力」をはぐくむために、総合的な学習の時間で行われている体験的な学習や課題解決的な学習はますます重要です。

これらの学習のためには、各教科で知識・技能を活用する学習活動を充実することが必要であることから、総合的な学習の時間の時数を縮減し、国語や理数等の時数を増加します。

これにより、各教科での学習を踏まえ、総合的な学習の時間における教科等を横断した課題解決的な学習や探究活動の質的な充実が図られます。


わかりました?

もともと学校の完全週休2日制とともに導入された「総合的な学習の時間」。

学校が土曜日休みになったことで、今までよりも年間の総授業数がだいたい70時間くらい減ったらしいんです。

そこに新たに「総合的な学習の時間」が学年によって違いますが、100時間前後どーーんと出てきた。

結果、


土曜日休みで授業数が 減少
総合的な学習の授業数 増加
各教科の授業数    大幅減

で各教科の授業数がガクンと減っった。あれから6年・・・

6年経過してみたら、学力が低下とかなんとかで・・・

つまり、


各教科等の学習で得た個々の知識を結び付け、総合的に働かせ・・
る前段階の「各教科の知識」がなくなっちゃった・・・・

まあ、早い話が、ズボンは、ちゃんとはいてたけど、チャックは開けっ放しだった!というわけです。オイ!

だからといって「総合的な学習」がダメなんじゃないですよね。その辺りがもしかしたら誤解されているのかも!?というのが最近の風潮なのでちょび語ってみました。

学校では少なくなる「総合的な学習の時間」ですが、その代わり、ちゃっかり塾が授業で「総合的な学習の時間」をやったり、そういうクラスを設置したりして補ってくれているようです。

ところで、


あなたは「小説と詩のどちらが好み」ですか?
子供に問う前に大人が答えなきゃね!

だって、「総合的な学習の時間」で一番悩むのは実は子供たちではなく、それを導く先生(大人)だったんですからね。

「総合的な学習の時間」の調査 金子真理子さん 
文部科学省「新しい学習指導要領」 
文部科学省「総合的な学習の時間」とは?
 

さて、総合的な学習の時間の話を書きました。

なんでもそうですが、批判するのはカンタンでも、新しいことを導入するっていうのは大変なことです。 

今抱えている課題をクリアするために議論をし、試行錯誤の上で新しいことを実施するのは、国も家庭も一緒です。

そういう意味で国が行った「総合的な学習」の導入は、時代に合っていたし、国際的な流れにも十分沿っていたとストロングは思っています。

ただ、すでに書いたように、学校週5日制の導入も合わせて実施されたことで総合的な授業のバランスが壊れちゃった。

その結果、学力の低下問題を踏まえ、ここ数年の流れであった総合的な学習を含むゆとり教育は今や完全にギアチェンジしました。

果たしてそれがいいのか悪いのか?

ストロングみたいな無学なマヌケにはわかりかねます。

ただ、全体で見たら失敗に見えることの中でも、個々を取り出してみると、すばらしい取り組みだというのはよくあることです。

しかし、教育はすばらしい仕組みがあっても、運用(または人)が悪ければ、死んでしまうし、その逆もあります。

だから、私たち親は世間の議論はともかく、しっかりと目を見開いて、

なぜそれが行われようとしているのか
どういう意図でやろうとしているのか

などをちゃんと見て知っておく必要があると思うのです。

知らないと制度やシステム自体がうまく運用されているかさえもわからないでしょう?

ゆとり教育、そして「総合的な学習の時間」は皆が注目していま
すし、関心を持って見守られているのでよしとしましょう。

では、「総合的な学習の時間」とともに導入された「学校5日制」についてはどうでしょうか?

皆さんはこの学校5日制がなぜ導入されたのか覚えていますか?

まさに

なぜそれが行われたのか?
どういう意図でやったのか?

です。

ネット上に「学校5日制」の導入に関わった木村治美さんの講演会の貴重な記録がありました。ぜひ皆さんに読んでほしいので抜粋してご紹介します。

平成15年11月4日 しまね教育の日講演会「生涯学習としての子育て」 
木村治美さん(エッセイスト、共立女子大名誉教授)


「学校週5日制について ?学校中心主義から脱却?」

学校週5日制が実施されました。

皆さんは、どう評価していらっしゃいますか。

学力が下がるとか、子どもの居場所がなくなるとか、いろいろな副次的な問題が出てまいりましたけれど、あれを最初に提言したのは、臨時教育審議会です。

その本心は、どこにその狙いがあったかと言いますと、やっぱり学校中心主義から家庭・地域全部に教育の場をひろげようという、それが狙いでございました。

つまり、学校が6日間抱え込んでいる。そうすると、家庭は学校に任せればいい、それから地域が何か子どもたちに関わろうとしてもそれは日数がない。

学校は5日だけ抱え込んで、あと1日多く土曜と日曜は、家庭と地域に返しますよとそういう意味で学校週5日制を提言した訳です。

と申しますのも、家庭というのは一種の聖域でございます。ここに直接物が言えないわけです。教育現場にいらっしゃる皆様は、一番そこに困っていらっしゃると思うんです。行政として、家庭を指導したり口を挟んだりすることは出来ない。しかし、そこの教育力が低下しているのは明らかである。

じゃあ、どうしたらいいんだ。ものすごく難しい問題です。

どうしたらいいのか、それは、やっぱりどこかが抱え込めば、もう一方は手を抜く、皆さんの家族中の役割分担もそうだと思います。ゴミ捨てはお父さんの役目となると、奥さんの方は、あの人に任しておいて私はよく分からないんだと、ただ捨てておけば、あの人がやってくれからということになります。

庭の草取りだってそうです。あれは、あの人が趣味でやっているから私はやらないということなります。

あっちが一所懸命やっているからこっちも一所懸命にならなければ、とはなかなかならないものです。

もう、いやな仕事に煩わしい、面倒な仕事であればあるほど、どちらかが抱え込めば、どちらかは手を引くというものです。

ですから、学校が抱え込めば抱え込むほど、家庭も地域も手を抜いてくる。それを排除するため、そういう関係を元に戻すために、そういう状況に戻すために、学校は、抱え込むことは止めましたよ。少なくとも土曜日は家庭と地域にお返しします。


いかがですか?

その家庭に返された「土曜日」はその後どうなっているでしょうか?
有効に、最初の趣旨の通りに使われているでしょうか?

そもそもなぜ「学校5日制」が導入されのかさえも忘れてしまっているのが今の状況のような気がします。
 
講演会の中に出てくるんですが、臨教審の先生の中には


もはや、家庭の教育力をあてにするのは、手遅れである。そんなことをして子どもたちを混乱させるよりは、全部、今よりももっともっと、学校の教育力を充実させて、もう、家庭なんか、あてにしない方がいい。
と言う方もいたそうです。

これを機会にぜひ、学校が休みの「土曜日」は我が家にとっていかなる日であるかを考えてみてほしいと思います。

さて、順番が逆になりましたが木村治美さんを簡単にご紹介します。

ご存じの方も多いと思いますが、「黄昏のロンドンから」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞され、以後、多数の著書を出され、大学で教えていらっしゃいました。

ストロングも大学生の頃から愛読させてもらっています。実は先日、ストロングの夢になぜかこの木村治美さんが出ていらっしゃって「最近私の本を読んでくれてないわね」なんて言うんです。

ええーーーー!!ですよね。お顔はもちろん知っていましたが、お会いしたことはありませんし、だいだいストロングは寝ているときに夢を滅多に見ないんです。

それが「私の本を・・・・」でしょう。

もうビックリして、ネットで最近の木村さんを調べてみようと思ったら、この講演会の記録にたどり着いたというわけです。

ストロングが昔っから愛読している木村先生の講演会の記録、せっかくですから講演会の別の部分もこの際紹介してみようと思います。

木村さんは、講演会で
 
「家庭の教育力について」
「人から人に受け継ぐもの」

についてもお話しされています。

今の皆さんが親子関係を考える上で参考になると思いますので、読んでみてください。

家庭の教育力について


家庭の教育力は低下しております。

これは、なぜかと言うことをここで考えてみたいと思うんです。それは、文明そのものにあります。

昔は、薪を割ること。おじいさんは山に柴刈りに、おばあさんは、川に洗濯にという役割分担があって、水を汲む人、薪を割る人、ご飯を焚く人、ランプの火屋を磨く人、大変な重労働でした。

だから、家族は何のために一つ屋根の下に住んでいるのか。

これは、一日を何とか生き延びるという、非常に現実的な目的のために結束していた。(家族は)なくてはならない協力者であったわけです。

しかし、今、申し上げたことみんな必要なくなったわけであります。

今、スイッチを押せば、全部一人でできてしまうわけです。

そうすると、家族って一体何のためにいるの?

これがわからなくなっているのです。

よく考えてみると、皆さんも何で一緒にいるんだろうとお思いになりません?

シンポジュウムなんか開くわけですね。

「今、家族は可能であるか。」

そうすると、スイッチを押していれば、ボタンを押していれば、全部、他人の協力なくして全てやっていける。

かえって、うるさい。
かえって人がいない方が自由でいいという人さえ多い。

だから、この頃の若い人は、なかなか結婚に意味を見い出せないわけです。シンポジュウムなどの結論は、非常に明解です。

まあ、それは、ボタンを押していればいいには違いないけれど、心の絆として家族は一緒にいるんだとそういう答えを持ち帰ります。

しかし、心の絆なんて目にみえないものをどうやって存在させますか。

テーブルの上に乗せますか。これは難しいんです。



日常生活の中に、昔は、手間暇かける場面が無数にあったわけです。みんな一つ屋根の下で共同生活していたら、そういう手間暇ばっかりですから。みんな家族の心が溢れていた。それを感じながら暮らしていた。

ところが、スイッチでしょう。

一緒に暮らしていても、心の渡しようがない。じゃあ、せめて食事くらいと思うんですが・・・・・


今じゃあ、コンビニ弁当も結構おいしく、「お母さんの弁当よりもおいしー!」なんて話もよく聞きます。


この頃は、スーパーでおかずを作るところも工夫しますから、おいしい物が作れるんです。

確かに、私たち手間暇かけて、でも、買った方がおいしいと思うようなこともあります。

そういう状況の中で、なお、手間暇かけて、心を家族に渡すことがいかに難しいか。時代は、そこまで来ている。

そういう中で家庭は、家族はじゃあ何で一緒にいるのかということです。


親がどうやって子供に目に見えない絆や心を渡すか?

考えても答えは出ませんが、ストロングなんかはもうそこだけが子供にきちんと伝わっていけばいいなあと思っているくらいです。

そして、それはじいさん、ばあさん、親や子や孫という縦の世代へのバトンタッチでもあるわけです。

「世話をされて」育ってきた私たちが「世話をして」見送っていく。高齢化社会といわれる中で、それをどう締めくくっていくか。

ストロングなんかも40歳を越えて、自分の親の死というものをすごく考えるようになりました。このじいさん、ばあさんの人となりをいかに子供たちに伝え、そしてずっとずっと思い続けてくれる子供にするか。

難しいですけどねえ。

木村治美 講演会「人から人に受け継ぐもの」


私の同世代の友達、もう、けなげですよ。(※木村さんは1932年生まれです)

嫁さんとして姑も舅も夫も、実家の親も、全部、手間暇といって申し訳ないんですけれど、自分で見送った。徹底的に世話をした、けなげな嫁なんです。その人たちが、今 、どう言うか、

「私は、子どもたちの世話にはならない」

とこう言うんです。

自立して、マンションなんか借りているんです。それは、けなげではあります。しかし、考え方によったら、じゃあ、どこでその人が受け継いで、守り育ててきた家風とか道徳とか宗教心とかそういうものは、いつ伝わるの。

そこを考えていないんです。私も時々それを言ってみるんだけれど、老後はどうするの。介護保険があるからとか社会化されているわけです。

そうすると、いい子を育てようという意味もなくなるんじゃないですか。

第一、子どもを育てようという、そういう思いも希薄になって来ると思いませんか。

年を取ったら、この子の世話にならなきゃいけない。

昔は、そうですよ。

家を継いでもらわなきゃならない。
墓も守ってもらわなければならない。
家名を汚さない。

それは、大分、昔の話ですけれど。

でも、少なくとも、家を守るというこういう感覚で、いい子に育てなくては。世間から後ろ指を指されないような、いい子を育てなきゃあ。

自分がおしめを替えてもらうような時にも、邪険に扱われないように性格のいい子に育てよう、こういう思いがあって、昔は子育てをしたと思うんです。

しかし、今、それが何もないじゃないですか。どうせ、この子の世話にはならないんだ。第一、子どもを産んだって、世話してくれないから産まないほうがいいんだ。

私は少子化の原因のかなりの部分は、そういう思いが占めているのではないかと思うんです。


いかがでしょうか?

木村先生の考え方に賛成反対はどちらでもよく、ちゃんと今現在、これらの考え方が明確か? 考えているか?

そういうことだと思うんです。

柄にもない話になってしまって恐縮ですが、親の世代がどんどん亡くなる年齢になっていろいろと考える今日この頃です。

考える機会を夢にまで出てきてくれて与えてくださった木村先生に心から感謝申し上げます。

木村先生、ありがとーーーー!!

もしお時間があれば、木村治美先生の講演会全文をお読みください。ストロングは省略しましたが、おもろいエピソードが満載です! 


平成15年11月4日 しまね教育の日講演会 
「生涯学習としての子育て」木村治美さん(エッセイスト、共立女子大名誉教授)
  
木村治美先生の最近のご活動
 

最後までお読みいただきありがとうございます。

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